Story

22歳の時、旅先の西アフリカにて現地の伝統楽器「Djembe」(ジェンベ)という太鼓と出合う。

プロの奏者達の演奏に身体中に電気が走り、自分もそこを憧れ目指すようになる。

その後本格的にDjembeを学ぶために、本場であるギニアへ3ヶ月間渡航。

現地でホームステイをしながら劇団に通い、師を持ち練習に励む。

ジェンベの演奏
催事にて。お祭りシーズンはジェンベ奏者は引っ張りだこ!
ギニアでDjembe修行
劇団での練習風景
ダンサーもたくさん。近所の人たちも見にくる。
ダンサーもたくさん。近所の人たちも見にくる。 ギニアは国を上げて伝統芸能の推進に力を入れている。

日本に一時帰国時は、地元埼玉や東京にて活動するアフリカングループや、レゲエグループなどに参加する。

またそこから様々な民族楽器に興味を持ち、主にパーカッションの部類からそれらを学んでいく。

そうこうする内にいつしか自分も常に楽器を持ち歩くようになり、どこでもセッションしたり、音の輪の中に入っていくようになる。

ハンドパンとの遭遇

ハンドパンとの最初の出合いは、アフリカ後に旅をしていたヨーロッパで。

2008年のこと。オランダ・アムステルダムの路上で。

そこで演奏していた人を見たのがきっかけだった。

初めて見るハンドパン、アムステルダムの路上にて

 

2001年にスイスで発明発売されたばかりのこの新しい楽器ハンドパン。(上記の写真はハング)

当時、口コミですでに噂され人気となっていたが、どこで買えるのか、どうやって買えるのか、またいくらするのかなど、その多くが謎に包まれていた。

僕も喉から手が出るほど欲しいという欲求に駆られたが、まだ修行中であったジェンベを置いて次にはいけない。そう思い諦めたのだった。

>>ハンドパン・ハングについての詳細はこちらから

 

運命の出逢い

そしてそんなことも忘れ、僕は自分のやるべきことに集中して自らのパフォーマンスの道を進んでいった。

そして31歳になった時に日本に本帰国した。

30代は自分の国である日本で過ごしたい、そう思って帰ってきた。

ジャグリングなどのパフォーマンスも落ち着き、20代の時のようなガツガツした気持ちがなくなった。

ジェンベも一通り満足するところまでやり、全てが一旦落ち着いた時だった。

 

そんな時にふっと思った。

『また音楽をやりたいな。そして今度はメロディー楽器をやりたいな♪』

僕はフルートなどの笛にも興味があったのでそれらを考えていた。

 

そんな矢先、近所の公園を朝散歩していると、とても綺麗な音色が漂うように聴こえてきた。

『この音はなんだろう?ハープ?』

その音の聴こえる方へと向かっていってみると、そこには、池のほとりでUFOみたいな円盤を叩く初老の男性の姿があった。

『なんと、これはっ!!!』

優しそうな顔をしたその男性は、僕が近づくとにっこりと微笑んでくれた。

僕は一気に好奇心が湧き起こり、その楽器ハンドパンについてあれこれと質問した。

その初老の老人は、嫌な顔ひとつせずに僕になんでも優しく教えてくれたのだった。

 

10年前に諦めたこの楽器、ある種自分の中ではもう選択肢の中にはなかった。

しかしその男性は思いもよらない事を言った。

『今では日本でもハンドパンを作っている職人さんがいますよ。私のもその方の作品です。もし欲しければもちろん誰でも買えますよ!』

 

なんだって!!??

めちゃくちゃ胸の高鳴りを覚えた自分だけれど、

『ただ、その方のは人気なので、オーダーしてから1年待ちとかなんですけれどね…』

 

そうか、やっぱり一筋縄ではいかないようだった。

僕は希望を打ちひしがれた気持ちだったが、でも実際にはその現実も知っていたのでそこまで落胆はしなかった。

その男性と連絡先だけ交換して帰ってきた。

 

ご縁とタイミングでやってきたもの

その2日後、夕方、家でPCを開き作業をしていると一通のメールが入った、この間のおじさんからだった。

『今すぐ園部さんのサイトを見てみてください!!余剰在庫で一つハンドパンが売りに出されています!すぐに買えますよ!!!』

*園部(SONOBE)とは日本のハンドパンブランド。
>>SONOBE Handpan

 

僕はすぐさまその方のサイトへと飛んだ。

すると確かに一つ在庫品が出ている。僕はすぐさまSONOBEへメールをし、それを購入したい旨を伝えた。

焦る気持ちに前のめりになるが、しかし返事はすぐには来なかった。

他にも購入希望者がいて、もう売れてしまったのだろうか….?

期待しすぎると絶望も大きいので、心半分ほどに返事を待った。

 

するとその晩、SONOBEから思いもよらぬメールが返ってきたのだった。

それは、僕にその在庫品を売ってくれるとのこと!!!

なんと!!!

一気に胸の高鳴りを覚え、高揚が止まらなかった。

 

この時の僕はラッキーだった。

ハンドパンを購入させてもらえるのはもちろんのこと、ハンドパンは価格が20万円する。

僕はたまたま自由にすぐに使えるお金でその金額を持っていたのだ。

 

こうして僕はハンドパンを入手することができたのだった。

この日から納品される日までは興奮しすぎて、夜あまり眠れなかった。

 

全てはタイミングだった。

自分のタイミングが全て整ったからこそ出合うことができたのだと思っている。

今でもハンドパンを見るたびにこれは神様から与えられたものだと思っている。

そして何よりもこれは『神器』だと思う。

ハンドパンとの出合い

苦戦の日々

ハンドパンは新しい楽器なので、先生もいなければこれといった正しい奏法などもない。

伝統も歴史もないし、宗教も文化も関係ない。

(世界のあらゆる楽器や音楽は、神様や御神事、お祭りなどと共に発展してきている)

 

誰からも教えてもらうことはできないが、逆を返せば全くの自由な楽器なのだ!

自分が思うように好きにやっちゃえばいい!!

つまり個々の「感性」、これのみなのだ!

それを知った瞬間、まさにこれは自分のためのものだ!と思った。

 

しかし現実はそう簡単ではなかった。

とりあえず適当に演奏しても気持ちいいだろうと思ってはみたが、そんなことはない…。

それは人に寄るだろうと思った。

僕は最初全くどうしていいかわからなかった。

購入後しばらくは、真ん中の音だけを「ゴ〜ン」と叩いて気持ち良いと思うだけだった。

 

それでも他の芸事をずっとやってきていて、どうすれば上達していけるのか、またやっていく「覚悟」とはどういうものなのか、それだけは分かっていた。

それは言葉にすれば一言、常に持ち歩く事だった。

そして臆することなく人前で見せていく事だった。

 

というわけで僕はその後、旅をする中でハンドパンを常に持ち歩いていった。

今までやっていたバスキングでは(路上パフォーマンスのこと)、ハンドパン一本に絞りひたすら路上で人前で演奏し続けた。

教えてもらった簡単なフレーズをなんとなく曲っぽく仕上げて、それのみをひたすら路上でやり続けた。

バスキング

旅を続けるには資金が必要だ。今まではそれをジャグリングやバルーンで稼いでいた。

バスキングは良い練習にもなる。2時間とか3時間とかひたすら芸を披露していくのだ。

その中で投げ銭をもらう。

投げ銭は一人一人が少ない金額でも、何時間かやると5千円、1万円、またはそれ以上になっていたりする。

>>台湾バスキングライフ

>>バスキングについて

 

僕の中で「大道芸」と「バスキング」は別物と分けて考えていて、

大道芸は輪を作り、場所も使い、大々的なショーだ。一回のショーは30分とかでその分稼ぐお金も一回あたりが大きい。

一方バスキングは、道の片隅でやっているという感じ。場所も少しあればよく、気軽にできる感じ。一回あたりのお金ではなく時間にして区切る。なので使うエネルギーが少ない分長くやっている。

 

僕はヨーロッパなどを旅していた時、両方やってきた。

けれどどちらも特性があるので、どんな芸をやるかでやりやすさが変わってくると思う。

信号機でバスキングしていた
イタリア時代、信号機でバスキングしていた。

 

話は戻って、僕はハンドパンをゲットしてからバスキングをしまくった。

お金もあるが練習を兼ねていた。人が見ているかもしれないという公開練習は集中力が違う。

 

最初にできたなんとなくの曲、それをひたすら演奏する。

しかし、1時間も同じ曲ばかりをやっていたら飽きてくる。

そこで適当にハンドパンを触っていくとたまに良いフレーズができたりする。

 

おぉ!、と思い、そのフレーズの前後に当てはまる何か別のフレーズを探していってみる。

そうして少しづつ、少しづつ曲ができていった。

最初の1、2年はそんな感じで進んでいき、6、7曲ほどオリジナルの曲もできた。

壁とその先へ

しかしそれでもやはり「壁」というのは常に存在した。

新しいメロディーなどが生まれめっちゃ楽しくなっている時もあれば、そのうちそれにも行き詰まってくる。

それでも続けていると、またその壁を乗り越える瞬間がやってくる。

するとその先はまたわくわくし、新鮮な気持ちで楽しくハンドパンと触れ合えるのだが、それもまた過ぎていくと新たな壁がやってくる。

そんなことの繰り返しだった。

 

ハンドパンを始めて3年、そして4年経った時、何度もこの頃はもうハンドパンを辞めようかなどとも考えていた。

なぜやるのか?

常に自問自答の日々だった。

かっこいいから、珍しいから、人がやっていないから、などといった外見だけの理由では長続きしない。

面白いから、音が綺麗だから、人が喜ぶから、だけでもまだ不十分だ。

本当の意味で自分の内面に深く入り込んでいないと、やる意義を見失うのである。

そしてそれ以降はお金のためだけになってしまう。するとそこにはなんの感性も力も込められなくなってしまうのである。

 

僕の場合、すでに自分自身の一部にもなっていたけれど、若き故、その先が見えなくなっていた。

どこを目指したいのか…?

またお金のためだけになっていた部分も大きい。なので葛藤が常に生まれていたのだった。

これ以上は導きがない限り自分では答えが出せなかった。

この時期はわからないなりに、ただただ続けていた。

それだけが答えであった。

 

出逢いと目醒め

そして5年目を迎える頃、大きな出逢いがあった。

その彼と出逢ったことにより、全てがクリアになったのだった。

自分の何歩も先を行く彼と話すことによって様々なことに氣付く。

その宇宙観や哲学、概念と接した時、多くのことを悟った。

そして初めて「音」というものがただの音でないことに氣付いた。

 

音というのは振動である。

振動とは、それは宇宙の根本を作っているものなのだ。

ハンドパンはその振動を奏でるものであり、1つ1つの深く澄んだ音にこそ意味がある。

 

僕は今までの演奏を恥じた。それは雑念を生み出すものでしかなかった。

一度発生した音(振動)は宇宙に永遠に響き残り続ける。

演奏する責任がここに生まれるのだ。

 

また振動とは今でこそ量子力学でしっかりと説明されているが、全ての物体はそのもの固有の振動から成り立っている。

それは人も然りで、だから僕らが山や海などの自然の中で過ごすことは地球の振動と繋がり心身を健康にするのだ。

調和のとれた水や食べ物、空気を吸えば健康になるし、不調和のそれらを摂れば不健康になるのである。

つまり調和の取れた良い振動を受けることはとても大事なのである。

(健康には遺伝など別の要素もあるが。しかしそれさえも振動で変えられる)

 

また音は音階がある。ドレミ…などの。

音階は数字である。

数字とは法則である。これによって特有の形が生まれ、それが宇宙を形成し、僕ら人間やあらゆる生物、星に至るまでの設計図となっている。

音楽もこの数字の組み合わせであり、これによって森羅万象を表現できる。

現にインドの古典音楽などは、これらを使い、曼荼羅や生命の樹などを波動で空間に描いているのだ。

 

これらの概念を理解した時、頭の中が何かパカーンと割れるようだった。

古い価値観と、閉じ込められていたものが解放されていくのを感じた。

覚醒だった。

ハンドパンを触れる手に今までと違う感覚が入り込むのがわかる。

無意識に、触る全てが音色になる。

音が命として生まれるのだった。

 

次のステージへ

僕は自分のことをミュージシャンや音楽家とは思っていない。

あくまでも、自分の内面を表現しているだけであって、ハンドパンという道具を使って宇宙の真理、神秘を体現しているのだ。

 

人をヒーリングしようだとかは思っていない。僕はそれはエゴと捉える。(それをする役割の人以外は)

ただ、調和の取れた音を聴いて癒されてくれるのならばそれは願ったり叶ったりだが。

そして音(振動)こそが真に人を癒せるとも思っているし、肉体的にも精神的にも治す最後にして唯一の方法だとも思っている。

 

ハンドパンは神器だとも思える。これほど美しくてまた音楽としても遊べる道具は他にないだろう。

しかしそれも奏者次第だし、奏者の心身が整っていなければ、いくら道具が良くてもそこから発生される音は不調和だ。そしてそれは世界中に鳴り響いていく。

まさに平和は今ここ、目の前からなのである。

 

祈りと感性を込めて僕はこれからもハンドパンを奏でる。

それがどう世界に影響していくのかわからないけれど…、ただ、ただ、

さらに深く、さらに美しく洗練された音を求めて、

純粋無垢に、

その責任、自分自身をクリアにしておくこと水晶のように。

 

世界に調和の波が広がっていくことを意識して🕊🌈🌎✨